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早実の怪物清宮幸太郎の経歴 誕生~野球の道へ [高校野球]



中学2年生で160メートルの場外弾を放ったとか、



「和製ベーブ・ルース」
と称されているとか、


その逸話はすでに大物級。

 動画1を観る

動画を観る

 


早稲田実業・清宮幸太郎「新怪物

「彼が小学生の頃から見ていますが、



バリー・ボンズのような打撃フォームだと思います

体の軸回転で打ち、脇も締まっている。そして打つポイントが近く、スイングスピードも速い。」

 清宮1.jpg

http://solife-a.com/14018.html


【夏・高校野球100年】早実・清宮 

3戦目直前に「しっかりバッティング」でHRを宣言



わくわくした気持ち。」

この男にプレッシャーと言う文字はないのか…。





「ストレートに振り遅れない。空振りを恐れずふっていきたい」

試合前に清宮は、そう語っていた。


期待を集める3戦目に向けて、

「わくわくした気持ち。存分に楽しんで、悔いのないように頑張る」

と力を込めた。




ホームランを含む4打数3安打5打点と大暴れ




それでは、そんな清宮くんの経歴を、誕生から現在まで辿っていきましょう。

 清宮2.jpg

http://mainichi.jp/sports/news/20150817k0000e05006...

 

◎早実の怪物清宮幸太郎の経歴 誕生~野球の道へ

 

1999年(平成11年)5月25日東京に生まれる



父は有名な早大の元ラグビー選手で、

 

早稲田大学ラグビー部の元監督で、清宮克幸氏

元々、

父親譲りの恵まれた体格で、スポーツは野球の他、

ラグビーや水泳などもしていていました。




このとき清宮少年が父、克幸さんに野球一本で行くことを告げて言われた言葉が、

「野球で一番になれ、できなければラグビーをやれ」だったそうです。


自分自身で野球一本に絞ろうと決意したこと、


それに対するこの父の言葉・・・

この頃から大物の風格

 清宮..gif

http://2350jk.blog.so-net.ne.jp/



東京北砂リトルと調布シニア時代

12打数8安打の打率.667のホームラン3本という成績で東京北砂リトルを世界一に導きました。



ちなみに、このとき既に 中学1年生ながら183cm、93kg

周りの同年代の少年達と並ぶと完全に大人と子供でした。


そして、この頃の球速は129km/h、


この大会では大会史上最長飛距離の94メートル弾を放ち、



大会の開催地アメリカでは和製ベーブ・ルースと呼ばれました。

、風貌もベーブ・ルースに似ている感じがありますね。

 

 清宮.jpg

http://kiyomiya-koutarou.blog.so-net.ne.jp/2015-08...

この日も清宮フィーバーで甲子園球場周辺は早朝から大混雑。

清宮幸太郎が東海大甲府との試合に出場

甲子園で初の本塁打を放つ

高野連関係者は「6時台の満員通知は記憶にない。

おそらく最速ではないか」と話していた。


清宮幸太郎が東海大甲府との試合に出場 甲子園で初の本塁打を放つ



早実は1回戦で今治西(愛媛)に6―0で快勝、


2回戦は広島新庄との接戦を7―6で制し3回戦進出。




「スポーツをする上での勝負への感覚に後ろ向きなものが一切ありません」


早稲田実のスーパー1年生・清宮幸太郎

常に大観衆を集めてしまう「清宮幸太郎の魅力」とは何か?

 

 

 清4.jpg

http://akatsuki18.hatenablog.com/entry/2015/08/03/...



コメントの一つ一つが、1番になることを前提にしているかのようで大物感抜群

。今後、清宮くんがどれだけのホームランを量産し、

成長して、どのような選手になっていくのか非常に楽しみですね!


タグ:清宮幸太郎
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トリックプレー名優イチロー「サボることばかり考えて」甲子園出場 [高校野球]


イチロー少年.jpg
http://matome.naver.jp/odai/2133493695499174001より

 

イチローの高校時代の思い出です。



イチロー1.jpg
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/dc9613c4c00f96..より引用


プロ野球選手になる」ために、高校時代をどう過ごしたのか?
彼は愛工大名電高時代、甲子園に2度出場し初戦敗退したようです。
イチローならではの独特の高校野球観がそこにあります。

イチロー甲子園ーバッター.jpg
http://www.nikkansports.com/baseball/column/mirai/...より引用。
スーパースターとして尊敬されるイチローも
幼い頃はテレビの高校野球中継で地元愛知の代表校を応援する野球少年だった。

「熱心に見ていたのは、小学生のころ。
高校へ入る時点で、目指すステージは違っていたようです。

「僕の場合、そもそも甲子園に行くためというよりも、
プロになるために選んだ学校。他の選手とは、モチベーションが違ってた。」

「(硬球は)捉えるのが簡単、という感覚でした。」
上級生に見劣りする体格だったけれど、打ったら僕の方が飛びましたね」

イチロー高校ピッチャー.jpg
http://matome.naver.jp/odai/2133493695499174001より引用


入学後すぐにレギュラーに、3年時、背番号「1」のエース。
そこに至るまでは血がにじむような練習があっても不思議ではないが、
実際のイチローは正反対だったようですね。

「寮生活でしたから、一緒にそこそこやってました。
3年生になると、いくらだってサボれましたから。
投手で、サボることばっかり考えてました」

深夜に寮を抜け出して独自練習をしていた逸話も「美談」。
イチローは笑いながら否定しているそうです。


イチロー3.jpg
http://www.flickr.com/photos/fiancee915/3381939836..より引用


「実際は他の選手の方がやってました。
僕はお風呂は1番に入らないと嫌。
誰よりも早く練習を終えて、お風呂に入ってました。
(高校で)全力で目いっぱいやってプロに入っても、
プロではやっていけない、というのが想像できたんです。
ただ、ドラフトにかかるのは倍率でも難しいですから、
最後の夏だけは、一生懸命やった。」ということです。

いちろー4.jpg
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2012/10/05/...より引用。

当時は練習中に水を飲むこともままならず、投手は200球以上の投げ込みをするような時代。
そんな中、イチローの考え方は先進的だったそうです。

「ブルペンで投球なんて、ほとんどしたことがない。
肩は消耗品、という考え。、
練習でも100球まで。酷使してダメになっていく人が、その頃から何人もいましたからね」
なかなか信じ難いですね!


高校通算打率は練習試合、公式戦合わせて5割1厘
(イチローの愛工大名電時代の成績)

 イチローの甲子園出場時の成績だけを切り取ると9打数1安打になるが、
高校3年間トータルでは恐るべき数字

愛工大名電野球部のデータにでは、
高校通算打率は公式戦、練習試合を合わせ5割1厘!!

イチローー5.jpg
http://ameblo.jp/mimikou/entry-10141023401.htmlより引用
本人が「最後の夏は一生懸命やった」と振り返る91年夏の愛知大会は、
8試合で打率6割4分3厘、7試合連続複数安打、 7試合連続打点、3試合連続本塁打と信じ難い数字がそこにあった!
イチロー5.jpg
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2012/07/25/...より引用。
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